ゆうべ、久々に体重を測ったら、自己目標より4kgも多かった。理想からすれば8kgも多い。毎晩測っていれば、徐々に増えていることで多少のセーブが働くのだけれど、ヤバいから体重計に乗りたくない、わかっているから頬被り、と逃げているからこういうことになってしまうのだ。
大して食べていない(本当かよ!)はずなのにこうなってしまうのは、夕食の時間が遅いということが理由のひとつに挙げられるかもしれない。夜7時で店を締めて家に帰るとだいたい8時。風呂に入ってさあ夕食となるともう9時。食べ終わってリンゴをむいて、犬を玄関にしまって本を読んで(そんなことまで書かなくなっていいって…)おツムに鳩が飛び始めるのが10時。つまり、食べ終わってから寝るまでが30分しかないのだ。食べ終わって3時間は起きているのが理想なのにね。
食欲の赴くままに食べてしまえば、結果がどうなるかは過去の例からよくわかっているので、毎食セーブしながら食べている(つもり)。しかも脂肪分を極力避けるようにもしている(つもり)。さらに間食もほとんどしていない(つもり)。夕食に至っては炭水化物を摂らないようにしている(はず)。それでもこの結果になってしまうのは、やはり夕食の時間に問題があるのだ、きっと。
夕食のメニューも、毎晩焼酎の晩酌を重ねているときに比べれば、ずいぶんと質素になった。生カキを1パックぺろりとか、豚の生姜焼きのテンコ盛りとか、おバカな食べ方はしなくなった。何よりも最近は野菜の煮物が多くなった。調理担当の弁によれば、「昔から作っていたけれどあんたが箸を付けなかっただけ」なのだそうだが、不思議と最近はおいしいと感じるようになってきた。
以前訪れたアメリカの家庭の食事は、実に質素だったことを思い出す。テキサスの砂漠の中の街でご厄介になった家は、銀行員の裕福な家庭だったけれど、その毎日の食事は質も量も実に質素だった。人間より牛の方が多いといわれる土地なのに、夕食には煮豆とポテト、いんげんやトウモロコシなどの野菜が中心だった。牛のステーキなど滅多に食べることはなかった。何よりも、夕食には日本食のご飯のように炭水化物の主食がないので、大飯食らいの私はいつも腹が減って仕方がなかった。朝食には柔らかいパンにたっぷりとバターやジャムを塗って食べるけれど、昼食はタコスやブリトー、サンドウィッチなどで簡単に済ませてしまう。おにぎりを6つも8つも食べないと気が済まない私は、なんでこんな食事であのでかい身体になるのか、が不思議でならなかった。
アメリカに限らず、食事は風土や宗教、民族によって左右され、伝統というタガで括られるもの。そんなセオリーからみると、日本の家庭の食事は今、すごいことになっているのではないだろうか。子供が好きだからという理由で、ハンバーグ、鶏の唐揚げ、焼き肉、カレーライス、餃子、とんかつなんてメニューを毎晩繰り返していたら、身体がおかしくなって当たり前だ。さらに朝はベーコンエッグにトースト、お昼にラーメンでは「たまには日本食もいいよね」という人がいるのも無理はない。
今はもうなくなってしまった(と言っていいと思う)けれど、日本にはハレとケがあった。ハレはお祭りや儀式などの特別な日(非日常)、ケは普段の生活(日常)。服装でいえば晴れ着と普段着。食べ物にもハレの日の食べ物があって、寿司やてんぷらなどはその代表だ。昔は普段の食事が質素だったから、ハレの食事はすごいごちそうだった。ところが今の食事を見ると、普段に漬物とみそ汁だけの質素なケの日がなくなってしまい、毎日がハレの食事のようになってしまった。
毎日ハレの食事ができるようになったのは、ひとえに経済的な発展のおかげ。でも、同じような経済力の国々はどうなんだろう。伝統を大事にするヨーロッパの人たちが、日本のような毎日がハレの日の食事をしているとは思えない。カネの力に任せてマグロを輸入している国と、普段は質素を旨として自国の中で作れる食べ物と文化を大事にしている国とでは、どちらの未来が明るいだろうか。2010/3/16